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東京高等裁判所 昭和54年(行ケ)10号 判決

原告主張の取消事由の存否について検討する。

1 取消事由(一)について

本件考案の実用新案登録請求の範囲の記載が請求の原因2(本件考案の要旨)記載のとおりであつて、そのうち「その挿通孔8の右側縁部25を突出片部9の平歯24の右端の直下又はそれよりも左方にあらしめて成る」との文言が、昭和四二年一月一九日付手続補正により補正されたことは当事者間に争いがない。

原告は、まず右補正された事項のうち「挿通孔8の右側縁部25を突出片部9の平歯24の右端の直下にあらしめて成る」(以下この相対的位置関係を「右端の直下」ということがある。)技術的事項は出願当初の明細書又は図面には記載されていないことであるから、審決が右の点の挿入が出願当初の明細書と図面の記載の範囲内の事項であるとして明細書の要旨を変更しないものとしたのは誤りであると主張する。

成立に争いのない甲第一六号証(本件考案の出願当初の明細書)によれば、出願当初の明細書には、次のとおりの記載があることが認められる。即ち、出願当初の明細書に記載された考案は、従来柱上安全帯として用いられていた皮革等にかわつてナイロン等の化学繊維が使用されるようになつたことに伴い、これらを柱上安全帯に用いる尾錠について改良する考案であつて、「その目的とするところは、柱上安全帯の掛止め機能を堅牢確実にして、墜落事故が発生した場合命綱を通して安全ベルトに作用する急激な高衝撃を充分支え、人命を惨事から護るに足りる応力を備えしめるとともに、急を要する場合に着脱が簡便であるという諸条件を満足させる尾錠を得んとするに在る」(二頁一三行ないし一九行)こと、そして、一旦引締めた柱上安全帯のベルトが手を離しても緩むことなく、確実堅牢に掛止め機能を達成できるものとして、出願当初の明細書には、第一〇図及び第一一図に関し、次のとおり説明されていること、即ち、「それは、ベルト(19)が矢符(c)の方向へ引張られるとき、まず、摺動板(10)のベルト挿通孔(8)右縁のベルト接触部(本件補正により「挿通孔(8)の右側縁部(25)とされた部分)により摺動板(10)が右方即ち矢符(d)の方向へ引張られて移動するため摺動板(10)の添板突出片部(9)平歯切面がベルトを尾錠基盤(5)の凸出片部(7)へ強く押付けるためで、その押圧に基づく摩擦でベルトが緩む方向へ移動しえないからである。即ち、ベルトに作用する矢符(c)方向への張力に比例して、尾錠の掛止力が強くなるわけである。」(四頁八行ないし一六行)、また、右の記載にいう「摺動板(10)のベルト挿通孔(8)右縁のベルト接触部(本件補正後の「右側縁部25」)自体は、出願当初の図面第六図、第一〇図及び第一一図に図示されているものの、同明細書には、この「ベルト挿通孔(8)右縁のベルト接触部」と摺動板(10)の突出片部(9)との相対的位置関係を積極的に限定した記載は見出せず、わずかに第六図、第一〇図及び第一一図からその相対的位置関係が窺知される程度であり、特に摺動板(10)の表面図である第四図と第四図のX´―X´線上の横断側面図である第六図をみるかぎり、図面上からは、ベルト挿通孔(8)の右縁のベルト接触部は、審決認定のとおり、突出片部(9)の先端における平歯(24)の歯底の直下にあるようにみられるにとどまる。

一方、成立に争いのない甲第二号証(本件考案の実用新案公報)によれば、本件補正後の本件考案の目的も、出願当初の明細書に記載された前記考案の目的と同じであり、かつ、補正後の本件考案の詳細な説明欄には、「さらに、ベルト掛止用の摺動板10は、その挿通孔8の右側縁部25が左側縁上方にある突出片部9の平歯24の右端の直下又はそれより左方にあるため、第一一図に示すように、ベルトは挿通孔8内でくの字に曲げられて右側縁部25との接触が強くなつており、かつ、ベルトが右方向即ち矢符c方向に引張られた際に摺動板10を同じ右方向即ち矢符d方向に摺動させる作用も強くなるので、墜落事故のような急激な衝撃でベルトが瞬間的に強く引張られても、ベルトが滑つて尾錠から脱けるおそれはなく、強く押圧挟持される。」(二頁右欄一三行ないし二四行)と記載されていることから明らかなように、本件補正後の本件考案もベルトが矢符cの方向に引張られたとき、ベルトにより摺動板のベルト挿通孔8の右側縁部25(当初の明細書における「ベルト接触部」)が矢符dの方向に引張られ、摺動板の突出片部9がベルトを尾錠基板の突出片部7に押付けてベルトの緩みを防止するものにおいて、ベルトが引張られたとき、右側縁部25(ベルト接触部)に働く矢符d方向の力が有効に働く構成としたものであつて、挿通孔8の右側縁部25を突出片部9の平歯24の右端の直下又はそれより左方にあらしめる構成も、右側縁部25に働く矢符d方向の力を有効に働かせ、ベルトを強力に押圧挟持させるためのものであることが理解される。

そして、出願当初の明細書添附の図面第一〇図及び第一一図には、ベルト(19)が挿通孔(8)内でくの字に曲げられてベルト挿通孔(8)右縁のベルト接触部に当接したものが記載されているから、当業者が右の各図面をみれば、ベルトがくの字に曲げられている場合、即ち、ベルトを挿通孔内において直角ないし鋭角に屈曲させた場合には、くの字に屈曲していないものと比べると、ベルトとベルト接触部との摩擦抵抗は著しく大きくなり、摺動板を摺動させる作用も強くなるので、ベルト接触部に働く矢符(d)方向への力がより有効に突出片部9と基板の突出片部7とによる押圧挟持のために作用しうることは、きわめて容易に理解される自明の事柄である。

したがつて、本件補正後の構成に基づく前記の作用効果は、出願当初の明細書に記載された考案に基づく作用効果を実施例に基づいてより具体的に記載してこれを明確にしたものとみるのが相当である。

本件補正事項のうちの「挿通孔8の右側縁部25を突出片部9の平歯24の右端の直下」とする構成についてみると、出願当初の明細書には、両者の相対的関係を限定した記載がなく、その添附図面第六図をみるかぎり、ベルト挿通孔(8)の右縁のベルト接触部が突出片部(9)の先端における平歯24の歯底の直下にあるようにみられることは前記のとおりであり、原告は、この点に関し挿通孔8の右側縁部25(ベルト接触部)を突出片部の「平歯の右端の直下」とする構成と「平歯の歯底の直下」とする構成とでは、ベルトの締付力の作用において大きな差異があるから、両者は厳格に区別されるべきである旨主張する。

しかしながら、出願当初の明細書に記載された考案において、突出片部に設けられた平歯は、ベルト織地を損傷しない程度の滑り止めであり(同明細書三頁一〇行、一一行)、その歯の深さもベルトの織地の厚さと比較して浅いものと理解されるうえに、出願当初の図面第四図及び第七図を参酌すると、平歯は傾斜突出している突出片部の右側に形成されていて、突出片部の先端における平歯の歯底の直下と平歯の先端の直下との間隔は平歯の歯の深さ自体の寸法より、さらに小さくなるものと認められるから、挿通孔8の右側縁部25(ベルト接触部)の突出片部9との相対的位置を特定するための表現として両者が一応区別して理解できるとしても、両者の相違が前記の程度のことと理解される以上、両者が作用効果のうえで格別著しい差異を生じさせるものとは認められない。

この点の原告の主張は、採用できない。

以上のとおり、出願当初の明細書には、補正後の考案と同じ目的、作用効果を達成するものとして、すでに、ベルトを挿通孔(8)内でくの字に屈曲させることによつてベルト接触部への当接を強力にし、これによつてベルト接触部に働く矢符(d)方向への力を確実にするという技術的思想が開示されているうえ、挿通孔8の右側縁部25(ベルト接触部)を突出片部の「平歯の右端の直下」とする構成は、出願当初の明細書に記載された考案の目的の範囲内にあり、これによる作用効果にも当初の図面第一〇図及び第一一図にみられる実施例の奏する作用効果と比較して格別著しい差異があるとも認められないから、本件補正のうち「挿通孔8の右側縁部25を突出片部9の平歯24の右端の直下にあらしめて成る」構成も、出願当初の明細書及び図面から自明の事項として理解される技術的事項であるとみるべきであり、右の点の補正は、出願当初の明細書又は図面に記載した事項の範囲内のものであり実用新案法第九条第一項の規定により準用される特許法第四一条の規定により明細書の要旨を変更しないものとみなされるものである。

なお、この点に関し、原告は、本件考案は、本件補正によつて進歩性が肯定され登録されたものであるのに、本件補正のうち「右端の直下」にあらしめる構成が出願当初の明細書又は図面の記載から自明であるというのであれば、単に自明な事項を付加することで進歩性を生じたことになり、この点からも要旨の変更でないとすることは、実用新案法の精神にも反する旨主張する。

しかしながら、実用新案法第九条第一項の規定により準用される特許法第四一条の規定は、願書に最初に添附した明細書又は図面に記載した事項の範囲内であるかぎり、「特許請求の範囲を増加し減少し又は変更する補正は、明細書の要旨を変更しないものとみなす。」としているので、同条の規定による補正によつて実用新案登録請求の範囲が実質的に変更されたことによつて直ちに明細書の要旨を変更することになるものでなく、かつ、特許法第四一条にいう「明細書の要旨の変更」とみなされるか否かは専ら当該「願書に最初に添附した明細書又は図面に記載した事項」を基準にしてその記載事項上自明かどうかが判断されるものであつて、公知の先行技術や当時の技術水準が直接の判断基準となるものではない。即ち、同じように自明の事項かどうかが問われているとしても、特許法第四一条の規定にいう「明細書の要旨を変更しないものとみなされる」かどうかが検討される場合と特定の発明や考案の同一性、その進歩性、技術的範囲が判断される場合とでは、自明かどうかの判断の基準ないし依拠するところも異なるのである。

原告の右の主張は、この差異を明確にしていない主張であつて肯認できない。

以上のとおりであるから、審決が「挿通孔8の右側縁部25を突出片部9の平歯24の右端の直下又はそれよりも左方にあらしめて成る」との記載の挿入が本件考案について明細書の要旨を変更しないものとしたのは正当であつて、この点に関し審決には原告主張のような誤りはない。

2 取消事由(二)について

(一) 前掲甲第二号証によれば、本件補正後の本件考案は、(1)ベルト挿通孔8の右側縁部25を突出片部9の平歯24の右端の直下又はそれよりも左方にあらしめて成るベルト掛止用の摺動板10を強固に構成すること及び(2)摺動板10の突出片部9をベルト基板5の突出片部7と対峙させることを主要な構成として採択することによつて、第一〇図及び第一一図に示されたように、「ベルトは挿通孔8内でくの字に曲げられて右側縁部25との接触が強くなつており、かつ、ベルトが右方向即ち矢符c方向に引張られた際に、摺動板10を同じ方向即ち矢符d方向に摺動させる作用も強くなるので、墜落事故のような急激な衝撃でベルトが瞬間的に強く引張られても、ベルトが滑つて尾錠から脱けるおそれはなく強く押圧挟持される。」(明細書四欄一七行ないし二四行)という作用効果を奏する点に特徴があるものと認められる。

(二) まず、本件補正後の本件考案の主要な構成のうち、右(1)の摺動板の突出片部9とベルト挿通孔の右側縁部25との相対的位置関係を特定した構成についてみると、引用例一ないし引用例三には、この構成を開示しあるいはこの構成を示唆するような記載を見出すことはできない。

この点に関し、原告は、摺動板の突出片部9とベルト挿通孔の右側縁部25との相対的位置関係としては、(イ)摺動板の突出片部9の平歯の直下に右側縁部25が位置する場合(ロ)平歯の右端の直下よりも右方に位置する場合及び(ハ)平歯の右端の直下よりも左方に位置する場合の三つの場合しか考えられないので、本件補正前の本件考案は、これら三つの相対的位置関係をすべて包含していたものとみられるところ、この本件補正前の考案は、実公昭二五―三二四四号実用新案公報(甲第一七号証の二)に記載された考案に基づいてきわめて容易に考案をすることができるものとして、拒絶査定されたのであるから、本件補正によつて摺動板の突出片部9とベルト挿通孔の右側縁部25との前記三つの相対的位置関係のうちから(イ)とはの場合を選択限定したとしても、そのことによつて進歩性が生ずるには特別の事情が必要である旨の主張をする。

しかしながら、前掲甲第一六号証及び成立に争いのない甲第一七号証の一ないし四によれば、拒絶査定の対象となつた本件補正前の実用新案登録請求の範囲においては、摺動板について「ベルト挿通孔(8)の左側縁部を右方へ延長して表側に傾斜突出する突出片部(9)を形成したベルト掛止用の摺動板(10)」との記載があるに過ぎず、本件補正で挿入された「挿通孔8の右側縁部25」の構成についての記載は、存在しなかつたのであるから、この「挿通孔8の右側縁部25」と摺動板の突出片部(9)との相対的位置に関する構成及びそれによる作用効果が審査の対象となつてはおらず、したがつて、この点の進歩性が判断されていないことは明らかである。

そして、本件補正後の本件考案が、右のとおり、新たに、挿通孔8の右側縁部25及びこれと摺動板の突出片部9との相対的位置関係についての構成を、実用新案登録請求の範囲に加え、それに伴う作用効果を明らかにし、その結果、本件補正前の考案の実用新案登録請求の範囲との間に、明らかな差異が存する以上、この本件補正前の考案について進歩性を否定する特許庁の判断が原告主張のとおり示されたことがあるからといつて、原告の右主張が失当であることは明らかである。

本件補正後の本件考案は、摺動板の突出片部9と右側縁部25との相対的位置関係が、実用新案登録請求の範囲に記載されるとおり限定された構成のものとして、出願前の公知技術との対比によつて新たに進歩性の有無が判断され肯定されたものであつて、原告主張のような見地から直ちに右の点の構成の進歩性を否定することはできない。

(二) 次に、原告は、本件補正後の本件考案の奏する作用効果として(a)「ベルトが右方向即ち矢符c方向に引張られた際に摺動板10を同じ方向即ち矢符d方向に摺動させる作用も強くなるので」、(b)「墜落事故のような急激な衝撃で」、(c)「ベルトが瞬間的に強く引張られても、ベルトが滑つて尾錠から脱けるおそれはなく強く押圧挟持される」ことが認められるとしても、各引用例のほか実公昭二五―三二四四号実用新案公報(甲第一七号証の二)及び実公昭三〇―九四三一号実用新案公報(甲第一九号証)などにみられる先行技術に照してみると、これらの事柄を顕著な作用効果とすることはできない旨主張する。

しかしながら、原告が指摘する先行技術のものは、いずれも、本件補正後の本件考案の必須の構成要件である摺動板におけるベルトの接触する部分であるベルト挿通孔8の右側縁部25を、突出片部9の平歯24の右端の直下又はそれよりも左方にあらしめた構成(前記(1)の構成)を欠くものである。

そうすると、右の構成を具備した本件補正後の本件考案と先行技術のものとを対比してみても、ベルトがベルト挿通孔の右側縁部により著しく屈曲され、これによつてベルトが矢符c方向に引張られたとき、摺動板を同じ方向即ち矢符d方向に摺動させる作用においては、本件補正後の本件考案の方が、右の構成を欠く先行技術のものよりはるかに有効確実な作用効果を期待することができ、よりすぐれたものとみることができる。

また、原告は、「墜落事故のような急激な衝撃」に対処できるような柱上安全帯尾錠に用いた点(前記(b)の作用効果)について、尾錠の単なる強度と用途の問題であるから、本件補正後の本件考案における構成を、柱上安全帯尾錠に用いた点に進歩性はない旨主張するが、本件補正後の本件考案の必須の構成要件である「ベルト挿通孔8の左側縁部を右方へ延長して表側に傾斜突出する突出片部9を形成するとともにその挿通孔8の右側縁部25を突出片部9の平歯24の右端の直下又はそれよりも左方にあらしめて成るベルト掛止用摺動板10」の構成は、原告が、先行技術として指摘する各引用例及び前記各刊行物には、これを開示し、もしくは示唆する記載はない。

したがつて、本件補正後の本件考案は、前記の構成を採択したことによつて柱上安全帯尾錠として墜落事故のような急激な衝撃にも対処できる格別の作用効果を奏するものであるから、原告主張のように単に従来の尾錠を柱上安全帯尾錠に転用したに過ぎないものとみることはできない。

したがつて、審決が本件補正後の本件考案が著しい作用効果を奏するものであるとしたことに何ら誤りはない。

この点の原告の主張は採用できない。

3 以上のとおりであるから、本件補正後の本件考案は、引用例一ないし引用例三の記載技術からきわめて容易に考案をすることができたものとみることができないとした審決の判断は正当であり、審決には原告主張のような違法の点はない。

よつて、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとする。

〔編註〕 本件考案の要旨は左のとおりである。

図面に示すように、上下両辺部1、2の裏側に相対向して内側に向く横溝3、4を設けた近似横日字型尾錠基板5の中辺部13をベルト基端部取付用の支持板となし、その尾錠基板5の右側ベルト挿通孔6の右側縁部を左方へ延長して表側に傾斜突出する突出片部7を形成し、ベルト挿通孔8の左側縁部を右方へ延長して表側に傾斜突出する突出片部9を形成するとともにその挿通孔8の右側縁部25を突出片部9の平歯24の右端の直下又はそれよりも左方にあらしめて成るベルト掛止用の摺動板10を強固に構成して、これを上記の尾錠基板5に、その横溝3、4に嵌合させることによつて結合し、もつて摺動板10を尾錠基板の右側ベルト挿通孔6内に左右摺動自在に取付けて、摺動板の突出片部9をベルト基板の突出片部7と対峙させて成る柱上安全帯尾錠。

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